本当は、大変な仮設生活だったんだろうけれど、陽気で楽しく過ごせたのは、母の入院と地震で別れていたみんなが、また一緒に暮らせるようになったからだと思う。
母が居て、ドンが居て、妹が居て、わたしが居た。
母は、80歳を過ぎて長い間入院をしていたので、寝たきりになると思われていた。しかし、気性の勝った人なので、私達が手を貸すと、どんどんと歩けるようになっていった。
私が付き添ってだけれど、犬と一緒に、仮設の周りを散歩が出来るようになった。
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2006年11月24日
2006年06月21日
仮設生活−2
仮設で生活を始めると、荷物が少しずつ増えてきた。
ドンのねぐらも、押し入れの中から、小さい方の押し入れの前に移動した。
そこと、母のベッド横の簡易トイレの前が、彼の定位置になった。
どちらも母の目に入る場所で、昼間に留守番をしていた一人と一頭は、いったいどんな話をしていたのかな?
母が言うには、結構ボランティアの人が裏から話し相手に来てくれたらしい。
下の仮設の人の生活も見えて、あんまり寂しくはなかったようだ。

小さい押し入れは、タンス代わりにしていたので、荷物を整理する為に、スチールのアングルを買った。
そのアングルと、押し入れの桟に棒を渡して、そこに服を吊っていた。
ある日、結構大きな余震があって、棒が外れて落ちた。
私たちは、緊張をしていて気がつかなかったが、犬がその下敷きになっていた。
慌てて服を払いのけると、目を見開いて、身動きもしないドンが現れた。
びっくりして、硬直していたようだった。
ドンのねぐらも、押し入れの中から、小さい方の押し入れの前に移動した。
そこと、母のベッド横の簡易トイレの前が、彼の定位置になった。
どちらも母の目に入る場所で、昼間に留守番をしていた一人と一頭は、いったいどんな話をしていたのかな?
母が言うには、結構ボランティアの人が裏から話し相手に来てくれたらしい。
下の仮設の人の生活も見えて、あんまり寂しくはなかったようだ。

小さい押し入れは、タンス代わりにしていたので、荷物を整理する為に、スチールのアングルを買った。
そのアングルと、押し入れの桟に棒を渡して、そこに服を吊っていた。
ある日、結構大きな余震があって、棒が外れて落ちた。
私たちは、緊張をしていて気がつかなかったが、犬がその下敷きになっていた。
慌てて服を払いのけると、目を見開いて、身動きもしないドンが現れた。
びっくりして、硬直していたようだった。
2006年02月19日
住む所を探して・・・
犬は内緒にしておくにしても、年寄りが居ると、空き部屋が見つからない事が判った。
昼間一人で居て、何かあると困るからと言うのが理由だった。
私と妹は、仮設も当たらないし、どうして良いか判らなくなって、福祉事務所に相談に行った。
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昼間一人で居て、何かあると困るからと言うのが理由だった。
私と妹は、仮設も当たらないし、どうして良いか判らなくなって、福祉事務所に相談に行った。
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2006年02月07日
2006年02月03日
母、ドンと再会
母は、関東大震災の体験者である。
それで、今度の地震と混同してしまったようだ。
徐々に回復してきて、廊下を私が支えて歩けるようになった。
窓から、崩れて壊れている家々が見える。
大きな地震があったんだよ、と言うと、そうかいと言って見つめていた。
地震があったの覚えているかと聞くと、うん、台所に居た時にドーンと言って大きな地震が来た、だから階段を転げて降りた、と言う。
それ、違う地震だといっても、解らないようなので、まあ良いかと聞いておいた。
エレベーターで下まで降りて、ドンに会った。
ドンは、はっとしたように見つめ、しっぽをぐるぐる回して、とても喜んだ。
数カ月ぶりの。家族みんなの再会だった。
母も最初は喜んだが、すぐにとても疲れて、ベッドに戻りたがった。
だから、最初の再会は、あっけなく終わった。
その後、時々会った。犬はいつもとても喜んだ。でも、母は以外とクールだった。
それで、今度の地震と混同してしまったようだ。
徐々に回復してきて、廊下を私が支えて歩けるようになった。
窓から、崩れて壊れている家々が見える。
大きな地震があったんだよ、と言うと、そうかいと言って見つめていた。
地震があったの覚えているかと聞くと、うん、台所に居た時にドーンと言って大きな地震が来た、だから階段を転げて降りた、と言う。
それ、違う地震だといっても、解らないようなので、まあ良いかと聞いておいた。
エレベーターで下まで降りて、ドンに会った。
ドンは、はっとしたように見つめ、しっぽをぐるぐる回して、とても喜んだ。
数カ月ぶりの。家族みんなの再会だった。
母も最初は喜んだが、すぐにとても疲れて、ベッドに戻りたがった。
だから、最初の再会は、あっけなく終わった。
その後、時々会った。犬はいつもとても喜んだ。でも、母は以外とクールだった。
2005年12月12日
2005年12月11日
母と、ドンと
元気になったのを見て、2回目の手術が行われた。
今まで、人工肛門を付けていたのを、普通に便が出るように、腸を繋ぎ直したのだ。
手術はうまくいった。あまり家に帰れない日が何日か続いた。鳴いているとお隣の奥さんが言っていたが、ドンは一人でよく留守番をしてくれた。
母は、体力が無くなったのか、傷口がなかなか治らなくなった。まだ何か月も入院しなくてはいけないでしょう、また、老齢であり、いつ急変するかも知れないので、付き添っていてください、と言われた。
それでも、毎日のリズムが何となく出来た。いつの間にか冬になっており、犬の散歩には頭からスカーフを巻き、目まで毛糸の帽子を下げてかぶり、中綿のジャケットを着て出かけるようになっていた。
なんだか、夏暑かった分、余計に寒いような気がした。
今まで、人工肛門を付けていたのを、普通に便が出るように、腸を繋ぎ直したのだ。
手術はうまくいった。あまり家に帰れない日が何日か続いた。鳴いているとお隣の奥さんが言っていたが、ドンは一人でよく留守番をしてくれた。
母は、体力が無くなったのか、傷口がなかなか治らなくなった。まだ何か月も入院しなくてはいけないでしょう、また、老齢であり、いつ急変するかも知れないので、付き添っていてください、と言われた。
それでも、毎日のリズムが何となく出来た。いつの間にか冬になっており、犬の散歩には頭からスカーフを巻き、目まで毛糸の帽子を下げてかぶり、中綿のジャケットを着て出かけるようになっていた。
なんだか、夏暑かった分、余計に寒いような気がした。
2005年12月10日
2005年12月09日
2005年12月08日
母と、ドンと
今まで医者に掛かった事の無かった母は、医者通いが日課になった。それでも酒とタバコをやめる事は無かった。
日中、いつでも寝られるように、部屋の隅に布団が畳んで置いてあるようになり、その上でドンは丸くなって寝ていた。寝る事が多くなり、ドンも少しづつ老いていた。
私は、母の事も、ドンの事も、どちらも認めたくなかった。そのせいか、そんな状態で、また何年もゆっくりと過ぎていった。
今思い返しても、一生の内で、あんなにゆっくりと年月が過ぎた事は無い。アールの代になってからは、その分を取り戻そうとするように、時が急いで過ぎていくような気がする。不思議だ。
そして、あの年の夏は暑かった。
日中、いつでも寝られるように、部屋の隅に布団が畳んで置いてあるようになり、その上でドンは丸くなって寝ていた。寝る事が多くなり、ドンも少しづつ老いていた。
私は、母の事も、ドンの事も、どちらも認めたくなかった。そのせいか、そんな状態で、また何年もゆっくりと過ぎていった。
今思い返しても、一生の内で、あんなにゆっくりと年月が過ぎた事は無い。アールの代になってからは、その分を取り戻そうとするように、時が急いで過ぎていくような気がする。不思議だ。
そして、あの年の夏は暑かった。
2005年12月07日
2005年12月06日
母と、ドンと
夕方になると、時々私の帰りを、外で待っていてくれた。
仕事の帰りはいつも7時半を過ぎていた。
母とドンだけと言う事は無かった。あそこはそんな場所柄だった。
文化住宅の角の家には、外に花を植える所があって、そこに母が座り、足元にドンが寝そべっていた。そして、誰かしらご近所の人も一緒だった。商店街の途中まで来ている事もあった。そんな時は、通りすがりの顔なじみさんから、ハムだとか、肉だとか、食べ物を貰いながら待っていた。
仕事の帰りはいつも7時半を過ぎていた。
母とドンだけと言う事は無かった。あそこはそんな場所柄だった。
文化住宅の角の家には、外に花を植える所があって、そこに母が座り、足元にドンが寝そべっていた。そして、誰かしらご近所の人も一緒だった。商店街の途中まで来ている事もあった。そんな時は、通りすがりの顔なじみさんから、ハムだとか、肉だとか、食べ物を貰いながら待っていた。
2005年12月05日
母と、ドンと
母は、80歳近くになっていた。
私と妹が仕事に出かけた後は、犬と一緒に居るのは母だけであった。
彼が子犬の頃、彼の事をハンドバッグと言って、小脇に抱きかかえて、近くに散歩に行っていた。しかし、彼の成長は早く、そんな事はすぐに出来なくなった。
その後は、引き綱を付けて散歩に行った。彼は、年寄りの遅い歩調に合わせて、ゆっくりと歩いていた。
私達が綱を付けて散歩に行くと、強い力で引っ張られた。急な方向転換で、転けてしまった事も何度かある。
しかし、母に対しては、そんな事をしたことが無かった。
親不孝な私達よりも、母をいたわっていたみたいだった。
私と妹が仕事に出かけた後は、犬と一緒に居るのは母だけであった。
彼が子犬の頃、彼の事をハンドバッグと言って、小脇に抱きかかえて、近くに散歩に行っていた。しかし、彼の成長は早く、そんな事はすぐに出来なくなった。
その後は、引き綱を付けて散歩に行った。彼は、年寄りの遅い歩調に合わせて、ゆっくりと歩いていた。
私達が綱を付けて散歩に行くと、強い力で引っ張られた。急な方向転換で、転けてしまった事も何度かある。
しかし、母に対しては、そんな事をしたことが無かった。
親不孝な私達よりも、母をいたわっていたみたいだった。